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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)3669号 判決

原告 都燃信用組合

被告 国

主文

一、東京都港区芝三田四国町二番地東日本印刷株式会社の原告に対する別紙目録記載の定期預金債権および定期積金債権中、一〇五〇号五〇〇、〇〇〇円、一二〇七号一、五〇〇、〇〇〇円、一三四七号一、〇〇〇、〇〇〇円の各定期預金債権、三三八五号一三八、〇〇〇円、二八九八号七八三、〇〇〇円、二六二七号五二二、〇〇〇円の各定期積金債権(以上全額)および三一四五号五七四、二〇〇円の定期積金債権の一部四七五、〇〇〇円の各債権が存在しないことを確認する。

二、原告のその余の請求は棄却する。

三、訴訟費用はこれを五分しその一を原告その余を被告の負担とする。

事実

(原告の申立)

一、東京都港区芝三田四国町二番地東日本印刷株式会社の原告に対する別紙目録記載の定期預金および定期積金債権が存在しないことを確認する。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

(請求原因)

一、原告は中小企業等協同組合法に基く信用組合で、組合員に対する資金の貸付、手形の割引、組合員の預金および積金の受入などを業とし、訴外東日本印刷株式会社は原告組合の組合員である。

二、原告は昭和三〇年九月一九日右訴外会社との間において手形取引契約を締結し、同日右会社から原告組合に次のとおり記載された手形取引約定書が差入られた。

(一)  原告組合は右訴外会社の依頼により九、〇〇〇、〇〇〇円を極度とし、その範囲内で手形貸付および手形割引をする。

(二)  右会社が手形借入又は手形割引を原告組合に依頼したときは、その都度当該手形金に相当する借入金債務を負担したものとし、爾後組合から手形又は貸金債権の何れによつて請求されても異議はない。

(三)  左の場合には原告組合が右会社に対して有するすべての債権につき弁済期が到来したものとし原告組合において右債権と右会社の当組合に対する当座預金その他の債権とを当初の弁済期にかかわらず通知または催告を要しないで任意に相殺しても異議がない。

(1)  右会社の当組合に対する債務中その一つでも履行を怠つたとき。

(2)  右会社に対し、仮処分、差押仮差押の申請、支払停止、破産もしくは和議の申立のあつたとき。

(3)  その他当組合において右会社が債務履行し得ないおそれがあると認めたとき。

(四)  右会社の裏書した手形の支払人につき前項の事実があつたときは当組合の請求次第買戻す。もし不履行の場合には手形期日前でも債務不履行の場合に準じて取扱されても異議がない。

三、右約定に基き原告は右訴外会社に対し、手形貸付および手形割引の方法により、次のとおり、金員を貸付けた。

(一)  手形貸付分

表〈省略〉

(二)  手形割引による貸付分

表〈省略〉

四、一方右会社は原告に対し、昭和三二年三月一二日現在で別紙目録記載のとおりの定期預金および定期積金債権を有していた。

五、東京国税局収税官木幡敬信は昭和三二年三月一三日右会社の原告に対する前項記載の預金ならびに貯金債権につき、同会社の滞納源泉徴収税徴収のため、滞納処分による差押を行なつた。

六、しかしながら右預貯金は次に述べるとおり相殺により既に消滅している。

(一)  原告と右会社との手形取引および預貯金債権については前第二項記載のとおり相殺に関する特約があるところ、右会社の依頼にかゝる割引手形中に不渡処分を受けた手形があつたので、原告は昭和三二年二月一七日付の普通郵便をもつて右会社に対し、右不渡手形を同月末日までに買戻すべくその買戻ができないときは右会社の全債務につき期限が到来したものとして取扱う旨を通知した。

ところで右会社はこれよりさき同年一月一九日源泉徴収税等の滞納によりその所有財産の公売を受けて事実上営業を停止し、同年二月一一日東洋印刷株式会社が右会社の後継会社として設立されてあつたが、原告の右請求に対しその買戻ができないというので、原告は右会社とその後種々交渉を重ねた結果、東京国税局収税官が前記のとおり本件預貯金債権を差押えた同年三月一三日の直前頃において、原告の右会社に対する前記三の(一)、(二)の各債権と本件預貯金とを対当額で相殺し、残余の三〇〇余万円の債務は右東洋印刷株式会社がこれを引受けて同額の約束手形を原告に差入れるとの合意が成立し、これにより本件預貯金債権は右差押前すでにすべて消滅していたものである。

(二)  仮に右相殺の事実が認められないとしても、原告の右会社に対する各債権については前記のとおり期限の利益の喪失に関する特約があるところ、右会社は前記のとおり昭和三二年一月一九日に公売処分を受け、また同年三月一三日に同会社の原告に対する預貯金の差押を受けたので、同公売処分および差押処分により右各債権はいずれも弁済期が到来したものというべく、また前記特約の趣旨が期限の利益の喪失については前二(三)の列記事実の発生のほか原告の意思表示を要するものとしても、原告は同年二月一七日右会社に対し前記のように通知したが右会社は同年二月末日までに不渡手形の買戻をしなかつたので、二月末日の経過により、前記三の(一)(二)の各債権のうち、それまでに貸付けのなされた各債権はいずれも弁済期が到来した。

(三)  しかして原告は昭和三三年一月一〇日右会社に対し、次のとおり相殺する旨の意思表示をした。

(債権の表示) (相殺に供した金額)

(1)  前記三(一)(1) の債権につき 一、五〇〇、〇〇〇円

(2)  〃三(一)(2) 〃 一、五〇〇、〇〇〇円

(3)  〃三(一)(3) 〃 一〇〇、〇〇〇円

(4)  〃三(一)(4) 、(5) 〃 各債権とも全額

(5)  〃三(二)(1) ないし(15)〃 〃

(6)  〃三(二)(16)〃 一〇五、七〇〇円

したがつて右相殺の意思表示により、右会社の原告に対する前記預貯金債権は、前記自働債権が相殺適状にあつた昭和三二年三月一二日の差押の以前に遡つて消滅した。

(四)  なお被告は原告の訴外会社に対する前記手形割引の方法による貸付金につき、手形割引は手形の売買であるからこれをもつて貸付金とし相殺の自働債権とすることはできない旨主張するが、原告と訴外会社の間の手形割引については前記のとおり割引の都度当該手形割引金額と同額の金員を貸付けたものとする特約が存し、原告は同特約に基づく貸付金を前記相殺の自働債権とするものである。

しかし仮に手形割引が手形の売買であるとしても、原告と右会社との間には前記のとおり買戻に関する特約があり、原告は前記のとおり昭和三二年二月一七日右会社に対し不渡処分を受けた割引手形の買戻を請求し、二月末日までに買戻しないときは全債務につき期限が到来したものと取扱う旨通知したが、その買戻をしなかつたので、右会社は右特約に基き同月末日の経過により原告に依頼して割引きした一切の手形につき、同手形金と同額の金員を支払つてその買戻をすべき義務が発生したので、原告はこれを自働債権として本件預貯金と前記六の(一)、(二)のとおり相殺したものである。

(五)  なお国税滞納処分により差押を受けた債権を受働債権として相殺をするには、差押債権者たる国に対しこれが意思表示をなすべきものとも考えられるので、仮に前(二)記載の事実が認められないときは昭和三四年九月五日被告到達の準備書面をもつて、前記(三)記載の表のとおり相殺の意思表示をする。

七、次に原告の前記訴外会社に対する前記三(一)および(二)記載の債権につき、被告国がした右会社の原告に対する預貯金債権に対する前記差押当時未だ相殺適状になかつたとするならば次のとおり主張する。

一般に相互に債権債務を有する当事者は、自己の債権(自働債権)の弁済期が自己の債務(受働債権)の弁済期以前に到達するものについては、将来この債権の弁済期の到来によつて相殺することが通常期待され、その利益を当事者の関係しない事由によつて剥奪することは公平の理念に反する。したがつてかかる関係にある受働債権につき自働債権の弁済期到来前に差押がなされ、或いは債権譲渡の通知がなされても、後日自働債権の弁済期が到来し相殺適状を生じたときにこれをもつて右差押或いは譲渡された債権と相殺し得るものといわなければならない。(最高昭和三二年七月一九日の判決「民集一一巻七号一二九九頁」のうち河村裁判官の補足意見参照)

しかして原告の前記訴外会社に対する貸付金(自働債権)の弁済期は前記三(一)および(二)のとおりであり、右会社の原告に対する預貯金(受働債権)の弁済期は別紙記載のとおりである。したがつて自働債権のうち前記三(二)(7) ないし(16)以外のものはすべて受働債権の弁済期以前に弁済期が到来し、また右(7) ないし(16)の債権も受働債権のうち定期預金一〇五〇号五〇〇、〇〇〇円以外の債権の弁済期以前に弁済期が到来し、昭和三二年五月三〇日には全自働債権について相殺適状にあつたものである。それ故前記六(三)または(六)記載のとおりの相殺の意思表示により、右預貯金債権はすべて右相殺適状のときに遡つて消滅した。

八、ところで被告は以上の原告の相殺の主張を否認し別紙記載預貯金債権の支払を原告に請求するので右債権の不存在確認を求めるものである。

(被告の主張に対する答弁)

被告の弁済、更改あるいは代物弁済の抗弁はいずれもこれを否認する。前記三の(一)の(1) ないし(5) の各手形貸付金につき、各金員貸付の際原告が右会社から受領した約束手形が、被告主張のとおりいずれも手形書換のなされた事実は認める。しかし、これらの手形書換は各貸付債権の弁済期を延長したのに過ぎない。

なお原告手形貸付金元帳(甲第三号証)には手形書換の際旧手形について償還済との記載があるが、これは単なる帳簿処理上の記載に過ぎない。

(請求の趣旨に対する被告の申立)

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

(請求原因に対する被告の答弁および主張)

一、請求原因の認否。

一の事実は認める。

二の事実は認める。但し同項記載の契約の趣旨は争う。

三の事実(一)は認める。(二)の手形割引のなされたことは認めるが、その各手形割引により手形金額と同額の貸付がなされたことは否認する。

四の事実は認める。

五の事実は認める。

六の事実のうち、主張の約定の存在すること、訴外会社が主張のとおり滞納処分によりその財産の差押および公売処分に付せられたこと、原告から六(五)記載のとおりの相殺の意思表示のなされたことは認める。その余の事実は争う。

七の事実中、原告主張の定期預金および定期積立金の通帳番号、金額、契約の日、満期日の点は認める。その余の事実および法律上の見解は争う。

二、被告の主張

(一)、原告は相殺の自働債権に供したのは一律に貸付金であると主張するが請求原因三の(二)記載のものは貸付金でなく手形割引である。

しかして手形割引は一般に手形の売買と解すべきであるから、これをもつて貸付金であるとし、またこれをもつて相殺の自働債権とすることはできないものと考へる。

(二)、原告主張の相殺の自働債権は被告が訴外会社の本件預金債権を差押えた昭和三二年三月一三日には、原告が請求原因三の(一)、(二)において自認するとおり、いずれも相殺適状になかつたものであるから、請求原因三の(一)の貸付債権についても、また三の(二)の手形割引が仮に特約により消費貸借と認められるとしても同貸付債権についてもその後の相殺をもつて被告に対抗することはできない。

原告は右会社との間に手形取引約定書(甲一号証)による特約により、右貸付債権はいずれも弁済期が到来していると主張するが、右約定書による特約によつては、差押前に弁済期が到来したものということはできない。

原告の主張のような一定の事由により貸付債権の期限の利益を放棄する旨の特約は、金融機関が貸付を行なう場合一般に付せられている特約で、この特約の本旨は約定事由が発生した場合に期限の利益を剥奪して直ちに請求するかどうかの自由を債権者が一方的に留保することにあるとみるべきであつて、期限の利益を奪う旨の意思表示がなくて当然に期限の利益が失われるとする趣旨の約定と解せられない。このことは期限の利益剥奪の事由に一定の客観的事由のほか「当組合において借主が債務を履行しないおそれありと認めるとき」というような債権者の内心的事情が併記されていることや、また周知のとおり取引の実状においては、約定事由の発生によつて直ちに期限の利益を失つたとして弁済の請求をする取扱のなされないことからも容易に首肯される。

なお原告は訴外会社が滞納処分により昭和二七年一月二二日から翌二八年一一月三〇日までの間四回に亘つて差押を受け、昭和三二年一月一九日には公売処分が行なわれているのに拘らず、その以後において右貸付および手形割引をなしているのであつてかゝる事実からしても前記特約がその記載事由の発生によつて当然に期限が到来する趣旨のものでないことは明白であろう。

ところで原告主張の貸付債権について、前記差押当時までに期限の利益を剥奪する旨の意思表示はなされていないのであるから(原告のかゝる意思表示のなされたとの主張は否認する)右債権を自働債権とする相殺をもつて被告に対抗することはできない。

三、なお原告は自働債権の弁済期が受働債権のそれより以前に到来する場合には受働債権の差押以後に相殺適状となる場合においても相殺し得る旨主張する。

しかしてかゝる見解は民法第五一一条をドイツ民法第三九二条と同様に解することになるが、差押と相殺との関係は強制執行制度との関連において考察すべきであつて、民法五一一条をそのように解することはできない。すなわち、金銭執行が競合した場合、個別的優先主義を徹底しているドイツ民訴の下にあつては、もし被差押債権と第三債務者の反対債権とが相殺適状になければ相殺し得ないとすると、第三債務者は自己の債務について、すべて取立られる反面自己の債権については全然満足を受けられなくなり、かくては第三債務者に著しく酷となるから、差押債権者に優先権が与えられる反面、それに対応して第三債務者の利益をも保護することが公平上必要となり、ドイツ民法第三九二条はこの趣旨の規定である。ところが我が国のように平等主義をとつている場合には差押債権者の地位はドイツ民訴におけるほど強大なものではなく、第三債務者は反対債権について差押債権者と同順位において配当を受けることが出来るのであるから、差押債権と反対債権とが差押当時相殺適状にあるときにのみ、有効に相殺できるとすることが差押債権者と第三債務者との公平を保つものである。したがつて民法五一一条の解釈としては、第三債務者は反対債権と差押債権とが差押当時相殺適状にある場合のみ差押後反対債権をもつて有効に相殺し得るものというべきで、原告主張のごとき解釈はなし得ない。

(抗弁)

(一)  原告が前記相殺に供すると主張する債権のうち、請求原因三の(一)記載の各貸付債権は、原告が相殺の意思表示をしたと主張する日より以前すでに訴外会社の弁済により消滅しているから、原告において相殺の自働債権に供し得ない。

債権の表示          弁済の日

請求原因三の(一)の(1) の債権 昭和三〇年一〇月一八日

同 (2) の債権         同 三一年 二月一五日

同 (3) の債権         同 年 九月一四日

同 (4) の債権         同 年一二月 一日

同 (5) の債権         同 三二年 三月一二日

(二)(1)、右各債権が仮に弁済されていないとしても、被告主張の右各弁済の日に、原告と訴外会社との間で手形の書換により、更改或いは代物弁済の契約がなされ、同日右各債権は消滅したものである。

(2)、いわゆる手形の書換は、単に弁済期を延期したのに過ぎないか、更改ないしは代物弁済として旧債務が消滅するものであるかについては争いのあるところであるが、前記原告の貸付金につき、原告組合は、その帳簿上旧債務について償還されたものとして〈済〉の印を押捺し、また残高零と記帳し明らかに旧債務を消滅したものとして処理している。したがつて原告および訴外会社の意思は右貸付金につき手形の書換により新債務の成立と同時に旧債務を消滅させるものとするにあつたとみなければならない。なお、右債権について、その様に解しても同債務の保証債務は新債務に及ぶことが前記約定(甲一号証)により明らかであるから原告に通常何等の支障を来たすわけではないのである。右のように当事者の意思が明らかである右手形貸付においては、その貸付手形の書換により旧債務は消滅したと解するのが相当であり、したがつてこれら債権は前記相殺の意思表示以前すでに消滅しているのであるから、これをもつて相殺の自働債権となし得ないものである。

四、以上のとおり原告の請求は理由がないから棄却さるべきである。

証拠関係

(一)  原告提出の書証

甲一号証   手形取引約定書   認

甲二号証   確認書       認

甲三号証   手形貸付金元帳   認・利益に援用する

甲四号証   調停申立書     認

甲五号証の一 便箋複写簿     不知

二      請求書       不知

甲六号証の一ないし一六 約束手形 不知

(二)  被告提出の書証

乙一号証 審査請求書   認

乙二号証 差押調書    認

乙三号証 差押調書    認

乙四号証 差押調書    認

乙五号証 差押調書    認

乙六号証 差押調書    認

乙七号証 法人滞納整理票 不知

(三)  原告申請の証人等

(1)証人    児島義一   第一、二回

(2)証人    小田茂作

(3)証人    渡部治郎兵衛 第一、二回

(4)原告代表者 広瀬与兵衛

(四)  被告申請の証人

証人 木幡敬信

理由

一、原告が中小企業等協同組合法に基く信用協同組合で組合員である訴外東日本印刷株式会社との間に手形取引契約を締結し、同会社から原告にその主張の如き記載のある手形取引約定書(甲第一号証)が差入れられたこと、原告が右契約により右訴外会社に対しその主張三の(一)記載の各手形貸付および同(二)記載の各手形割引を行つたこと、右訴外会社が原告組合に昭和三二年三月一二日現在で別紙目録記載のとおりの定期預金および定期積金債務を有したこと、同月一三日東京国税局収税官木幡敬信が右訴外会社の源泉徴収税を徴収のため右預金および積金に対し滞納処分による差押を行つたことは当事者間に争いがない。

二、よつて原告の相殺の主張について判断する。

(一)  ところで被告は、原告が相殺に供すると主張する自働債権のうち手形貸付による各債権は、訴外会社の弁済あるいは原告と訴外会社との更改または代物弁済契約により消滅した旨主張するのでまずこの点から判断するに、右手形貸付に関し被告主張のとおりの手形の書換がなされまた原告組合の手形貸付金元帳(甲第三号証)には同書換のなされた旧手形につき償還済みを表示する記載のあることは原告の認めるところであるが、手形貸付における手形の書換は特段の事情のない限り貸付債務の弁済期を延期する趣旨と解すべく、成立に争のない甲第三号証、証人渡部治郎兵衛、同児島義一の各証言(いずれも第一回)によると、書換の当事者である原告組合および訴外会社はいずれも貸付債務の弁済期を延期する意図のもとに手形の書換をなしており、右帳簿は単に事務処理の都合上書換前の貸付金につき〈済〉の印を押し直ちに再び同額の貸付金を起す取扱がなされていることが認められ、右書換によつて旧手形による貸付債務が弁済されあるいは更改または代物弁済により消滅したものとは解されないし、そのほか弁済、代物弁済、更改等の事実を認めるに足りる証拠はないので被告の右主張は採用できない。

(二)  原告はまず、本件差押のなされる直前頃原告と訴外会社との間に本件預金および積金と原告の右会社に対する一切の債務とを対当額で相殺する旨の合意が成立した旨主張し、証人渡部治郎兵衛の証言(第一回)によつて真正に成立したものと認められる甲第五号証の二、右証言および証人児島義一の証言(第一回)によると、右訴外会社は昭和三二年一月一九日源泉徴収税等の滞納によりその所有財産の殆どにつき公売処分を受けて営業を停止し、原告に割引を受けた手形が不渡となつたがその買戻ができなかつたので、同年二月末頃より原告と債権債務一切を整理する趣旨のもとに折衝のなされたことが窺えるが、成立に争のない甲第三号証、乙第一号証および証人木幡敬信の証言によると、本件差押の当時原告組合の手形貸付金元帳、定期預金元帳、定期積金元帳等には相殺を推測せしめる記載がなく、また原告は東京国税局収税官が本件差押に先だつてなした調査に対し本件定期預金および積金が存在する旨回答し、差押に際してもまたその後の審査請求においても相殺により消滅した旨の主張はしていないことが認められ、これらの事実からすると本件差押当時右預金および積金につき相殺がなされていたとは認め難く、この認定に反する証人児島義一の証言(第一回)は措信できないしその他右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(三)  しかし成立に争のない甲第二号証および証人渡部治郎兵衛の証言(第一回)によると、原告は本件差押の以後である昭和三三年一月一〇日訴外会社に対しその主張三の(三)のとおり相殺の意思表示をしたことが認められる(この認定に反する証拠はない)ので、以下右相殺の意思表示をもつて差押債権者である被告に対抗し得るか否かについて判断する。

三、(一) まず手形貸付債権を自働債権とする主張について考察するに、右各債権の本来の弁済期がいずれも本件差押の以後であることは原告の自認するところであるが、訴外会社から原告組合に差入れられた手形取引約定書の第一一条には「左の場合においてはすべての債務につき弁済期が到来したものとし、借主の貴組合に対する当座預金その他の債権と弁済期にかゝわらず通知又は催告を要しないで任意に相殺せられても異議ありません。(一)本約定その他貴組合との約定に違反し若しくは貴組合に対する各債務中その一つにても履行を怠つたとき。(二)借主につき仮処分、差押又は仮差押の申請、支払停止、破産もしくは和議の申立があつたとき。(三)〈省略〉。(四)借主が手形交換所の不渡処分又は警告を受けたとき。(五)その他貴組合が借主において債務を履行し得ないおそれありと認めたとき。借主の裏書した手形の支払人につき前項の事実があつたときは御請求次第買戻致します。若し不履行の場合には手形期日前でも債務不履行の場合に準じ御取扱されても異議ありません」との期限の利益の喪失および相殺に関する特約が記載されていることは原被告間に争のないところ、原告は右特約はその列記事実の発生により全債務につき当然に弁済期が到来する趣旨であるから、原告の訴外会社に対する各債権中前示公売処分前に貸付けられたものはその公売処分によりまたその後に貸付けられたものは本件差押処分によりすべて弁済期が到来した旨主張する。しかしながら右約定書の記載はその文意が明確ではないが、列記事由の発生した場合当然に相殺の効果が生ずる趣旨の特約というよりも、列記事由の発生した場合原告組合において債務の期限の利益を喪失せしめ債務者の預貯金債権と相殺するか否かの権限を取得するに過ぎないものと解されるばかりでなく、前掲甲第二号証、第五号証の二、証人渡部治郎兵衛、同児島義一の各証言(各第一回)によると訴外会社との取引中において、前示のとおり訴外会社が公売処分を受けあるいは不渡手形の買戻を履行しないなど約定書列記の事由が生じた以後においても、原告組合は訴外会社に対する貸付金につき手形の書換えに応じて弁済期の延期を許し、本件差押当時まで右約定により直ちに弁済期が到来したものとも、また更にこれら債権と訴外会社の預金債権とにつき相殺の効果が生じたものとも取扱つていない事実が認められるので、取引の実態が右のとおりである以上、原告において右約定に基く権利を行使する旨の意思表示がなされない限り、差押債権者に対する関係においてのみ前示公売あるいは差押により直ちに全債務につき弁済期が到来したものと主張することは許されないというべきである。

(二) しかし前掲甲第五号証の二および証人渡部治郎兵衛、同児島義一の各証言(各第一回)によると、原告組合は訴外会社が原告組合で割引を受けた二通の手形(請求原因三(二)の(2) および(6) 記載の手形)が不渡となりその振出人が東京手形交換所の取引停止処分を受けたので、昭和三二年二月一七日訴外会社に対し、右不渡手形を直ちに買戻すべくもし同月末日までに買戻をしない場合は前示約定により同会社の全債務につき期限の利益を喪失したものとして取扱い全債務の支払を請求する旨意思表示したが、訴外会社は同月末日までその買戻をしなかつた事実が認められ、この認定に反する証拠はないので、原告主張三の(一)記載の手形貸付債権中右二月末日以前に貸付けられた(1) ないし(4) の各債権は前示約定に基き二月末日の経過とともに弁済期が到来したものというべく、そしてかかる場合原告が訴外会社の原告に対する定期預金および積金と任意に相殺し得ることは右約定に定めるところであるから、右各債権を自働債権とする前示相殺の意思表示は差押債権者である被告に対抗し得るものである。

(三) ところで原告主張三(一)の(5) 記載の債権は原告が自から主張するとおり昭和三二年三月二日に貸付けられたものであるから貸付の以前になされた右意思表示によつて期限の利益を喪失するいわれはなく、その貸付の以後本件差押のなされるまで前示約定による期限の利益喪失に関する意思表示のなされた事実を認めるに足りる証拠はないので、同債権は本件差押当時いまだ弁済期になかつたものというべきところ、原告は、自働債権の弁済期が受働債権のそれより以前に到来する場合には、自働債権の弁済期が受働債権差押の以後であつても、後日相殺適状となつたとき相殺をなし得る旨主張する。

なるほど差押債権の債務者が債権者に対しその債務より先に弁済期の到来する債権を有する場合、受働債権が差押えられる以前からその債権によつて相殺し得ることが期待されその利益を有するというべきであろう。しかしながら受働債権の差押以後に相殺し得るか否かは差押の効力との関係において考察すべく、受働債権は差押によつてその処分が禁止されるのであるから、受働債権の差押前すでに相殺適状が発生しあるいは相殺適状を生ぜしめ得る状態にあつた場合は別とし、それ以外は差押以後における相殺は許されず、債務者は爾後配当加入等の手続により差押債権者と平等の立場においてその救済を受けるのほかないものと解するを相当とする。したがつて原告の右主張は採用できない。

四、次に手形割引に関する債権を自働債権とする相殺の主張について判断するに、

(一)  原告はまず、原告と訴外会社との手形割引については割引の都度訴外会社が手形金に相当する借入金債務を負担する旨の特約があり、その特約による貸付金債権を相殺の自働債権とする旨主張し、訴外会社から原告組合に差入れられた手形取引約定書にその趣旨の特約の記載があることは当事者間に争がない。しかしながら手形割引は、手形の主たる債務者が借主となる手形貸付と異なり、第三者が支払うべき手形を裏書交付することにより割引代金を取得するものであつて、この実質関係は通常手形の売買と解すべく、ただ手形割引というもその契約内容を如何にするかは当事者の自由であるから特約によりこれを消費貸借となし得ないものではないが、本件において訴外会社から原告組合に差入られた手形取引約定書には、前示のとおりその第一条に手形割引により消費貸借が成立する旨の記載がある一方第一一条には割引手形の振出人につき同条列記の事由が生じた場合訴外会社はその割引を依頼した手形を買戻す旨の記載があるところ、買戻の特約は手形割引の実質関係を手形の売買であることを前提とし割引依頼人に手形裏書の責任以外に手形買戻の責任を負担せしめるもので、手形割引を手形の売買とみる以上消費貸借が成立する余地はないから、右両特約は相矛盾する性質を有し、したがつて本件手形割引につき右約定書第二条の記載のみによつて直ちに消費貸借が成立するものとはなし得ない。

そして前掲甲第五号証の二、証人渡部治郎兵衛、同児島義一の各証言(各第一、二回)によると、原告と訴外会社の取引において手形貸付についてはその貸付にあたり抵当権等の担保権を設定しているが、手形割引についてはこれを消費貸借として担保権を設定する措置はとつておらないし、また割引手形が不渡となつた際原告は右約定書第一一条により訴外会社に対し割引手形の買戻を請求していることが認められ、これらの事実からすると本件手形割引は手形の売買と解するを相当とし、右認定を左右する証拠はないので、原告の右主張はこれを採用しない。

(二) 次に原告の割引手形買戻による代金請求権を自働債権とする相殺の主張について判断するに、原告と訴外会社との手形取引において期限の利益喪失および割引手形の買戻に関する特約(約定書第一一条)の存することは前示のとおりで、同特約は訴外会社が原告から不渡手形の買戻請求を受けた場合、当該手形につき再売買の効果が発生し直ちに手形金相当の買戻代金を支払う義務が生ずるとともに、その支払を怠れば原告においてその余の割引手形についても買戻を請求し得る趣旨と解されるところ、訴外会社が原告に割引を依頼した手形二通が不渡となりその各振出人が東京手形交換所の取引停止処分を受けたので、原告は昭和三二年二月一七日附その頃到達の書面をもつて訴外会社に対し右手形の買戻を請求し且つ同月末日までに買戻不履行の場合には全債務につき期限の利益を喪失したものとして取扱う旨意思表示したが訴外会社が同月末日までにその買戻代金を提供しなかつたことは前示のとおりで、右意思表示は右不渡手形の買戻とこれが不履行の場合にはその余の割引手形全部についても買戻を請求したものと解され、したがつて訴外会社が同月末日以前に割引を受けていた原告主張三(二)の(1) ないし(14)の手形は同日経過とともにすべて買戻の効果が発生し、同会社は直ちに右各手形金額相当の金員を原告に支払う義務が生じていたものというべく、しかして原告が昭和三三年一月一〇訴外会社に対してなした前示相殺の意思表示は右買戻代金債権を自働債権とする趣旨にも解されるから、右相殺の意思表示はその範囲で差押債権者である被告に対抗し得るものである。

(三)  しかし原告主張三(二)の(15)、(16)の手形が割引かれたのが昭和三二年三月であることは原告が自ら主張するところ、これら手形につき原告が本件差押当時までに買戻を請求したと認めるに足りる証拠がなく、したがつて買戻請まによつて生ずべき買戻代金債務は本件差押当時いまだ発生していなかつたというほかないからこれを自働債権とする原告の相殺の主張は採用できない。

五、以上のとおり、原告主張三(一)の(1) ないし(4) の貸付債権および三(二)の(1) ないし(14)の手形割引に関する手形買戻代金債権を自働債権とする前示相殺の意思表示は有効であり、その余の債権を自働債権とする相殺は差押債権である被告に対抗し得ないところ、前示相殺の意思表示において自働債権中相殺に供する全額および受働債権は明示されているが、受働債権のうちのいずれに相殺充当するかについては表示されていないし、訴外会社においてこれを表示した証拠もないので、法律の定めるところにしたがつて相殺充当すると、別紙目録記載の本件定期預金および定期積金のうち、一〇五〇号、一二〇七号、一三四七号の各定期預金、三三八五号、二八九八号、二六二七号の各定期積金の各全額および三一四五号定期積金の一部四七五、〇〇〇円が右相殺により消滅したと認められる。よつて原告の本請求中右の範囲で正当として認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 福島逸雄 江尻美雄一 野口喜蔵)

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表〈省略〉

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